今回の東日本大災害は日本国中のみならず全世界をも影響下に置く大惨事と成りました。 しかし、戦後の焼け野原から奇跡の復興をとげた日本は必ずや近い将来立ち直って更に 新しい国へと進化すると確信します。日本がんばれ!

コ ラ ム

   父、友との別 れに又出直しを誓う (2月4日)

 

 

 

 

ふるさとが舞台の物語
 

わたしたちの郷土を舞台とした小説や紀行文は数多い。中でも大自然を題材とした作が多いのもこの地ならではの特色ではないだろうか。それは古今東西いつの時代も人は自然の懐に包まれたいと思う気持が心のなかに顕在しているからかもしれない。次に紹介する本がよく知られている。
 


司馬遼太郎/峠

…継之助の担架は、八十里越を越えてゆく。左脚はすでに腐敗し、臭気を放った。それにしてもこの峠の長大さは、どうであろう。樹海は眼下にあり、道は天空に連なってゆく。八十里こしぬ け武士の越す峠。と、継之助は我が姿を自嘲した。

曽野綾子/只見川

…昭和23年2月1日の夜、戸田小雪は、布団の中で、翌日に迫った夫の岩男との再会の瞬間のことを考えていつ迄も寝つかないでままでいた。夫が応召で出征したのは、昭和18年の冬、17歳の小雪と結婚式をあげて2週間目である。

三島由紀夫/沈める滝

…やがて銀山平がその下に没した人造湖の広大な風光がひろがった。かなたには福島県の山々が影を落としていたが、山の姿は、そのどの高さを水面 で切っても、おのずから形を成して、前からここが湖だったかのよう自然であった。岸の形が、昔から知らない人の目には、少しも異様に思われなかった。

イザベラ・バード/日本奥地紀行

…糸沢では、借り出した馬がひどく呻くので、最後の宿場間を歩いて川島に着いた。ここは五十七戸のみじめなむらであった。私は疲れきって、それ以上進めなかったので、やむなく藤原のときよりもひどい設備の宿に泊まることになった。宿屋はまったくひどかった。台所では、土を深く掘った溝に大きな蒔きを入れて燃やしていたが、ひりひりする煙りがあたり一面 に充満していた。

その他にも多くの作家がとりあげている。

早乙女貢、星亮一、西村京太郎、室井光広、城山三郎、梁取三義、吉村昭、古川古松軒、福米沢悟、太田蘭三

 

 


 

 

 

 

 

<本当の福島はここ>
(the real fukushima is here)

自然豊かな福島県、中でも南会津は東北一の山がある山並と広大な森林を清冽な水が流れ、絶え間なく野山を潤しています。四季折々の自然の移り変わりの中で、人々は悠久の時間過ごしてきました。その心は、自然との調和によって育まれ、やさしくおだやかにそして素朴なままに今尚受け継がれています。ふれあいの機会がありましたらぜひ一期一会だと思ってお声をかけてください。      

    ○

  <今週の風景>

散歩の途中で/丹藤

弁天山からの眺望

大川を挟んで町の北側

 




 

 

 

片方の失せし手袋黒革のつや
つや としてなほ捨てきれず

       柏倉清子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イギリスの旅行家イザベラ・バード(1831-1904年)は47歳の1878(明治11年)年5月西南戦争の翌年日本を訪問し、東京から北海道までの旅の記録として『日本奥地紀行』を著した。6月、伊藤鶴吉という青年を雇い馬で日光を出る。山王峠から糸沢、川島、田島、楢原そして大内宿から市野峠を越えて高田、板下へと旅はつづく…。先頃私は、新発田藩や村上藩の大名行列も通 ったというこの市野峠のウォークに参加した。今年の紅葉は彩りが芳しくなかったとはいえ、頂上から少しばかり下った右側の開けた処から見える、左から明神岳、中央一段上の視線に飯豊山それから右奥に磐梯山という雄大な光景は息を呑むばかりだった。落葉を踏みしめる音が山中をかけめぐる。それはまるで蚕が桑の葉を一斉に噛む時に発する音のようだったし、つづら折りの道を大勢の人たちが色とりどりの服装して歩いていく様はまるで大名行列を彷佛させ130年前の古道はしばしにぎわった。
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2012年2月4日 ()

廣野有紀

 本格的なジャズ歌手
 をめざして活躍中!

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1999年3月から番目の訪問者です

 父が最も親しくしていた友達が亡くなった。名をコウイチといい、父よりはひと回り以上は若かった。昨年は一度も顔を見せなかったが、父から、体調がすぐれないことは聞いていた。寂しかったのだろう、4キロメートル程先のコウイチあんつぁ(目上の人の名前の語尾につける、敬称)の家に自転車で何度も行っていたのを知っている。往年の山好き者がするように野山を駆けめぐるような訳にはいかないまでも、一緒に温泉へ行くくらいまでには回復するだろうと思っていた。
 これまで、コウイチあんつぁと父との関係は、私も羨むほど、兄弟のようなつきあいをしていた。「オイ!爺さま居っか」という電話を何度受けたことか。そうこうしているうちにも、我が家の玄関先に立っているほど直情径行の人だった。もしかしたら週に2回は顔を見せていただろう。その都度、自分が作った畑の野菜を山ほど抱えていた。そのくせ我が家に上がることはあまりなく、いつも父と裏の小さな庭とも畑ともつかないネコの額ほどの盛り土地の隅で、ほんの数分立ち話をするとすぐに帰った。
 そんなコウイチあんつぁが私は好きだった。私の名前を呼び捨てにする唯一の人だったのが何よりも嬉しかったし、お互いの心情がわかり過ぎるほどわかっていた。 酒の好きなコウイチあんっあは、私が珈琲好きで凝っているのを知っている。時折、挽き立ての珈琲があるからと誘うと、めったに上がることのないコウイチあんっあが、それなら飲んでいくかと言いながらも居心地悪そうに、しかし旨そうに飲んでいった姿を思い出す。
 父が特別に楽しみにしていたのは、コウイチあんっあとその友人たち4、5人とで、近くの芦の牧温泉宿に一泊で出かけることだった。お酒をほとんど飲まない父がどんな具合にして皆の中で収まっていたかはわからないが、気兼ねなくて愉しかったのだろう。帰ってくるとすぐに次回の日程を手帳に書き込んでいた。旅館から手紙をもらったり営業の人が何度も顔を見せた。お得意様だったにちがいない。それにしても何度もお供をしてもらった、コウイチあんっあ、ありがとうございました。合掌。
 父は自分より若い人が又先立ってしまったと嘆く。いち時期が終わった。

 

 

 

 

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