会津黒川城主蘆名氏16代。隠居して止止斎と号した。
蘆名氏15代盛舜の子で、黒川城(若松城)主となった。会津地方北部に分かれて代々抗争を繰り返していた一族をまとめ上げ、戦国大名として最盛期を築いた名将。その版図は会津地方全域から、福島県信夫・安達・岩瀬・田村・石川・白河郡、さらに新潟県蒲原郡にまで及んだ。
しかし跡を継いだ盛興・(二階堂)盛隆・亀王丸らが早世、そして常陸国太田城主佐竹氏より迎えられた20代義広が磐梯山麓摺上原の合戦で伊達政宗に敗れ、三浦佐原氏の流れを汲む名族蘆名氏は滅亡した。
小田山の麓・花見ヶ森御廟に盛氏・森興・盛隆の墓があり、また小田山公園内には、蘆名氏2代光盛から8代詮盛までの廟所である寿山廟がある。 |